こどものようにラクに生きる

「頭・心・身体」を意識して『引き寄せの法則』を子育てとともに実践する

親子の波動を上げる方法(おすすめの曲)~日々気分良く過ごす~day38

こんにちは!

f:id:coraku:20170206133515j:image

今日もとても気持ちよい天気。

幼稚園に娘を送った後にはお母さん方と井戸端会議。

帰宅後、掃除機かけて床拭いて、皿洗い、レンジ周りや洗面台の鏡拭いたり、トイレ掃除して…

軽く娘のお弁当の残り物を摘み、ネットサーフィン。

今日はココアやカフェオレの気分ではないのでお水で至福のヒトトキを過ごしております。

ああ、掃除って好きかも。

あんなに見てみぬふりしてたのになー。不思議だなー。

 

親の想い、子の想い

今朝のお掃除のBGMは秦基博さん。

先日、塾の先生へのご挨拶に少々緊張しながら車を運転していたら、ラジオから彼の曲が流れてきました。

 

秦基博「Girl」

こちらの曲。

 娘さんへの想いを歌った曲。とても綺麗なすがすがしいメロディ。声がとてもいいですよね。そして子どもを愛でる歌詞がとても素敵です。

もー車の中の緊張感が一気に感動に変わりました(笑)

「あのCMの曲ってこんな曲だったんだ――――!」って。

娘への想い。感謝と尊敬と応援と…

親になって初めてこの気持ちがわかりました。

何年か前のCMソングな素敵なこの曲。

最近の私の波動を上げてくれる一曲です。

 

で、昨日またラジオから流れてきた歌をご紹介。

これ聴いた時には夫とともに爆笑してしまいました。

そして、私はふんわり暖かい気持ちになりましたよ。

夫はなんだか神妙な顔してましたけどね(笑)

 

 

きいやま商店「離れてても家族」

無鉄砲なお父さんと家を守るお母さん。その二人を見守る子どもの目線

家族に迷惑かける人、かけられる人を眺めながら、それぞれから愛情をしっかり受け取っている、きいやま商店のご兄弟。

親も一人の人間。良いところばかりや悪いところばかりの人はいません。一緒に暮らしていても暮らしていなくても、注意して感じれば、自分への愛情を見つけることくらい簡単なことです。

きいやま商店さん。よく知りませんでしたが、石垣島出身の兄弟と従兄弟のトリオだそう。40歳くらいのおじさんたちがほんわかメロディーにやや衝撃的な歌詞をつけて、子ども目線で歌を歌います。

さっきの秦基博を彷彿とさせるほどの愛情を歌ってます。

これぞギャップ萌えな歌でした(笑)

 

その人に責任を負わせない、人のせいにしない

最近、いや結婚してからずっとかなー、家族っていいなーって思ってます。

夫と娘と、実家の家族と夫の家族と。

誰それがこんなことしたーとか、された―とか、ムカつくことはそりゃいろいろ見つければ出てくるだろうけど、それだけで人を判断したりしなくなりました。

それはそれとして、笑い合えます。日々、気分良く一緒に暮らせます。

まずは自分の気分を良くしていけば、相手の良いところが自然と目に入ってきますし、そこを引き出せるようにもなってきたと思います。

 

お恥ずかしいことに、私の思春期は長くて親を恨んだ時期もありました。でも、歳を重ねた今では親を尊敬しているし感謝しています。

親には親の人生があります。

子どもには子どもの人生が。

親の人生と子の人生は違います。

親の責任、子の責任と言ったりしますが、この「責任」という言葉は前向きな思考と愛情で持って発したい言葉です。どうか相手を責める凶器になりませんように。

相手を責めるために自分が不幸に向かうことも、親子の愛情を前提とした怖ろしいこと。

家族をしていたら、喧嘩や行き違いもあると思うけど、さらりと我先に自分の人生を歩んで楽しむことが、親としても子としても、相手と自分の得になることは明白です。

 

良い気分、良い波動は伝わりますから。

波紋のように。

他人を変えることは出来ないけれど自分を変えることは出来ます。

 

家族は一番近しい存在。同じDNAを持つ存在。

もしも家族を変えたいと思ってしまったら、まずは自分から!ですね(*^-^*)

 

愛情を光として感じる

読者登録をさせていただいている方のブログにもシンクロを見つけました。

joto5482.hatenablog.com

 

 

親子の想いって直視できないくらいの強い光なのだと感じます。

自分からも相手からも出ちゃっている光。お日様のような暖かいヒカリ。

 

こちらも昨日聴いていた曲↓

 

MIWA「ヒカリへ」

歌詞もメロディもなんか切ない。ヒカリへ向かう途中感がめっちゃ出てますね。

 

昔のひとは美しいと書いて「かなしい」と読み、愛しいと書いて「かなしい」と読んだ。きっと、すべての美しいものは悲しみを内包しているのだと思う。それは「永遠には見ていることができない」という悲しみ【美しみ・愛しみ】で、だからこそ、私たちは「いまという瞬間を大切にしよう」という感覚を抱く。いつまでも生きていることができるのならば、すべてから終わりの瞬間が奪われたとしたら、何に慈しみを覚えることができるだろうか、何にありがたみを覚えることができるだろうか、何を望み、何を願い、何を大切にしたいと思えるだろうか。終わりのないものに美は宿るのではなく、終わりがあるからこそ瞬間は輝く【死があるからこそ生は輝く】と、そんな風に言えるのではないだろうか。

置き去りにしてゆくもの。 - いばや通信

 

だからお日様みたいにその光をポカポカ感じていたらいいんですよね(´▽`*)

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

それではまた明日(*^-^*)

 

良ければ応援おねげします。


にほんブログ村 


にほんブログ村 

 

 ↓こちらもぜひ

www.coraku.com 

www.coraku.com